東国三社 息栖神社はどこにあったのか?

東国三社の息栖神社はどこにあったのか?

東国三社のうち、香取神宮・鹿島神宮は古くから現在の場所に建てられていたといわれています。一方で、息栖神社については、古くは現在地より東の地にあり、現在地に移転してきたということが言われています。

ところが、FloodMapを使って見てみると、以外なことが見えてきます。

上図は、FooldMapで、海面を9mに設定したもので、青いのが水域、白いのが陸地になります。Floofmapの四角の一辺は50mくらいになっているので、大雑把な陸地を示していますが、ちょうどその中に、息栖神社の本殿と社務所が入ります。周囲は、海域なので、海域のなかにポツンとある島のように見えます。

ここが、ちょうど東国三社のうちの息栖神社になるということを考えると・・・

ここからは、想像ですが・・・

そもそも、息栖神社は、上記の島状の陸地にあったものが、台風などの影響で倒壊し、一時的に東の方の陸地に移転していたのだが、その後元の土地に戻った。

と考えると、東国三社のそれぞれの立地の色々なことがつながっていきます。

というのも、大戸神社から香取神宮、息栖神社までのラインと、大戸神社と鹿島神宮要石、香取神宮と鹿島神宮本殿間のラインは、非常に正確なのに対して、 息栖神社と鹿島神宮の南北ラインは、他のラインに比べて誤差が明らかに大きいという特徴があります。

となると、息栖神社は大戸神社・香取神宮ライン上にそもそも位置すると考える方が自然ではないかと思います。

つまり、神社のラインとしては、精度的に見て、

大戸神社 ‐ 香取神宮 ‐ 息栖神社 (東西の春分、秋分線)
大戸神社 ‐ 鹿島神宮要石 (夏至の日の出ライン)
香取神宮 ‐ 鹿島神宮本殿 (45度のパワーライン、あるいは鬼門ライン)

という3つラインを形成しており、たまたま息栖神社と鹿島神宮が南北のラインの近い場所にあったと考える方が、自然なのではないかと思います。

2013/01/19

東国三社 息栖神社跡地

東国三社の一つ息栖神社は、西暦807年に現在建っている場所に遷座したものですが、その跡地に先日行ってきました。

茨城県神栖市日川にある石塚運動公園の西の片隅に説明坂があります。(写真左手の石碑は息栖神社関係のものではありません)

その内容を以下に書き出します。

息栖神社の歴史

現在の息栖神社は、その昔、日川に鎮座していました祠を、大同二年(807年)、右大臣藤原内麿が勅命に依り現在地の息栖に遷座したと伝承されております。 日川地区に鎮座していた当時の息栖神社がなんという名で呼ばれていたかについては確かではありませんが、史書「三代実録」には、仁和元年(885年)「於岐都説神(おきつせのかみ)従五位下を授けられる」と記されており、これが旧息栖神社のことではないかと推定されています。
この祭神の名称からは、川の中州、水辺に位置する神社が想起されますが、このことは、祭神が岐神(くなどのかみ)、天鳥船神(あまのとりふねのかみ)、住吉三神(上筒男神、中筒男神、底筒男神)という、海にまつわる神々であることに結びつきます。事実、日川地区内の遺跡からは平安時代の遺物等が発見されており、この神社を祀り、水上交通の安全を記念したと思われる人々が居住していたことが確認されています。
息栖神社は、鹿島神宮、香取神宮と共に、東国三社の一つに称され、歴史の古い由緒ある社として、御神域は広く関東、東北一円にわたり地域住民からも地区の氏神として崇敬されています。

平成一九年十一月 神栖市教育委員会

場所としては、それほどエネルギーが高い場所ではないのですが、近くに権現塚古墳などもあり、古くから人が住まいしていた場所なのが分ります。

場所は、グーグルマップで「石塚運動公園」または「息栖神社跡地」で検索すると見つかります。

※息栖神社跡地は、私がグーグルマップに申請して受理された新たなマーカーです。グーグルマップを開いてから、検索ボックスに「息栖神社跡地」を入れて検索すると息栖神社跡地が検索結果として表示されます。

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